あほ駅ではありません

厚保駅は「あつほ」と読みそうになる難読駅ですが、
「あつ」駅と読みます。

駅名の由来が書かれています。以下引用です。
「あつ」の地名については「延喜式」によると長門国阿津、 鹿野・意福…」とあり山陽・山陰の連絡路の駅家ウマヤ)の所在地を示している。
「阿」は湿地の意味で「津」は 交通位置を示す地名であったようだ。「厚保」となったのは後のことである。
「保」は公地の行政単位の庄・郷・保とあり、その「保」で「厚」を後で加えたものであるという。
又、他説によると その昔、神功皇后が三韓遠征の時、”兵をあつめたと”ので「厚保」と言うようになったと伝えられ近くに郷社・神功皇后神社がある。広島鉄道管理局発行「駅長さんの書いた駅名ものがたり」から一部分引用
「阿」は湿地の意味で「津」は 交通位置を示す地名であったようだ。「厚保」となったのは後のことである。
「保」は公地の行政単位の庄・郷・保とあり、その「保」で「厚」を後で加えたものであるという。
又、他説によると その昔、神功皇后が三韓遠征の時、”兵をあつめたと”ので「厚保」と言うようになったと伝えられ近くに郷社・神功皇后神社がある。広島鉄道管理局発行「駅長さんの書いた駅名ものがたり」から一部分引用

駅名もひらがなで記載されています。

きっぷは駅前商店で販売しているとのことですが、現在も続いているのかは不明です。


駅は無人駅となっていますが、地域交流センターが併設されています。

山口エリア標準の接近表示機も設置されています。


切符の発売窓口や改札窓口は板で閉ざされています。



ホームは2面2線の相対式ホームです。

現在は1両編成主体ですが、ホームはかなり長めになっています。


貨物側線も残りますが、駅舎近くまでは到達しておらず
ずいぶん手前で止まっています。

駅構内にも広い花壇が設けられていて、ゆったりしたつくりです。




ホームの先はカーブしています。


跨線橋は1972年2月製でした。

跨線橋のフェンスは高めですが、屋根はありません。




反対側のホームも、緑地部分がかなり広めです。

プラスチック製のベンチが置かれています。

安全を願う碑が設置されています。

池のようなものもありました。

ホームには勝手口のようなものもあり、駅舎を経由せずにも通行できます。


地域交流センターの入り口です。


時代を感じる掲示も残っています。

地域交流センターで自転車を貸し出してくれるようです。






駅前は広いのですが、人家はまばらで人通りはほとんどありません。



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